[PR]子育てママさんへ:3年毎に15万円うけとれる女性保険?





―手に繋がれた5色の糸―


 あたしがびっくりしたのは、この地域では人が死に瀕したときに、救命と安楽死以外の処置があったってこと。神に頼る人は今まで何人も見てきたから、そんなに不思議ではなかった。でも、神に頼ってまで苦しんで生きている人を見たことはなかった。

 その人は手に5色の紐を巻いて天井に繋げてあった。赤、黄、緑…そんなカラフルな色を見てると、まさかこの目の前の人が死に瀕しているなんて。これぽっちも考えられない。あたしよりも何歳も年上の男の人――きっとシャムスよりも年上――は薄い板で作られた床の上に寝そべりながらずっと天井を見ている。

「ねえ、ハーリド。あの人は何をしてるの?」

 あたしは直ぐ隣の髭面のハーリドに尋ねた。片方の腕しかないハーリドは髭が邪魔して歳をくって見えるけど、実はあたしと十も変わらないらしい。ハーリドはあたしに聞かれてやっと気付いたみたいで、窓の向こうの男の人の方を見て答えた。

「あれは神に唱えているんだ。」
「唱える?呪文を?」

 ハーリドらしい静かな答えだった。何か含みを持たせた答え方。あたしは不思議な感覚を覚えた。あたしたちには呪文を唱える習慣なんかないから。唱えるって言っても、聖なる言葉。折角育てた羊を屠殺したりする時くらいだもの。

「そうだ。と言っても、彼が唱えているものはおれたちと同じように聖なる本に書いてある言葉だ。」
「彼らにも聖なる本があるの?」

 あたしが聞いたところでは、彼らのうち、神官の地位を持ってる人だけが聖なる言葉を知っているらしいけど、どうなのかしら。

「ナジャが考えている人々が信仰するものと、彼の信ずるものは分かれ道だ。」
「分かれ道?」
「ナジャはこの国の聖なる言葉は神官だけが知っていると聞いて不思議じゃなかったか?」

 確かに、不思議だったわ。あたしは深く頷いた。だって、聖なる言葉は万人に平等に与えられたものだ。求めなければ触れる機会はないかもしれないけど、求めたら誰だって得られる言葉。偉い人からあたしみたいな子どもまで、皆が平等に触れることが出来るものよ。

「先人はその不平等に気付いた。そしてこの苦しい世界からの抜け出す方法も。彼らの聖なる書はその偉人の生前の言葉が書かれている。あとは、物語とか。」
「それって、あたしたちにもあるわね。預言者の生前の物語とか、朋友の語ったお話とか。」

 そう、とハーリドは低い声で言った。
 それから、彼らの持つ宗教について、世界が大宇宙に値すると自分は小宇宙で、自分って言うのを構成する要素ってのは二つに大別できて、それは死んでも片方は残ってうんぬんかんぬん…と語ってくれたけど、あたしには考えが難しすぎて理解できなかった。まずはどうしてそのお話をした人をみんな神と同じってあがめているのか、そこから話してくれないと主観的立場に立てないわ。理解できないんだもの。
ハーリドはなんだか難しいことをよく知っている。あたしは正直そういう話はよく分かんないわ。
 少し苛苛していたら、段々と彼の言葉が窓の向こうで寝そべっている男の呪文と同化してきたような気がした。あたしはぼおっと横たわった男を見ながら部屋の中を見た。部屋の中には存在感すら感じなかったけど、一人の老人が木の杖に両手を乗っけて座っていた。あたしは人がいたんだ、と思って失礼にも彼をじいっと見つめてしまった。

「何だね、君たちは。見たところ知り合いではないようだが。」

老人は高圧的な口調で話し掛けてきた。まあ確かにあたしが知り合いでもないのに見つめてたのが悪いんだけど。

「彼のご家族の方…ですか?お父様?」

 老人は見守るような姿ではなかった。目の前の男を哀れんだり、元気付けたりしない。男もずっと自分の手に巻きついた五色の紐ばかりを見ていて、お互いの存在はまるで空気。あたしやハーリドの存在もまるで空気。だって、今目の前で言い争いが起ころうとしているもの。あたしと、この老人の。ハーリドは黙って心配そうに――いいえ、これは、またナジャ、やっちゃった。って視線だわ――見ているだけだけど。

「あんたらこそ、なんだね。こいつのご友人か?」

 老人は今はっきりと敵意を剥き出しにした。

「…だったら、どうなんです?」
「出てけ!!」

 気付けをされたような怒声に心臓が飛び出るかと思った。
あたしは何がなんだか分からずに――とりあえずこの老人にむかっ腹を立てていることは分かる――キッと彼を睨みつけた。

「そんな不躾に怒鳴り散らすことないじゃない!死ぬ前に見に来たっていいでしょ!」
「うるさい!こいつは今から死ぬんだ。誰かと会っちゃ未練がましく現世にしがみ付いて涅槃にいけんだろう!わかったか、この異教徒、とっとと出て行けばか娘!」
「失礼した、監視員殿…。」

 罵声をスコールのように浴びせられて、あまりのむかつきに閉口してしまったが、やっとのことで言い返そうと思ったらハーリドがあたしの首根っこをひょいとつまんで部屋の見える廊下を大股で去った。

「ナジャ。だめだ。腹を立てても仕方がない。あの老人は青年の血縁ではないし、ましてや知り合いでもない。ただの監視員だ。」
「だからって!」

 部屋からだいぶ離れた廊下であたしはやっとハーリドから首根っこを開放された。片腕だけでもあたしを持ち上げてしまうなんて、やっぱりすごい。黒と白の大理石の地面にあたしは両足を降ろした。

「ここは死するものの館だよ。皆、再び生れてこないように、死んだら神のいる国へいけるようにと願っているんだ。」
「あんなに苦しんでまで?慈悲深き神の御名のもとひとおもいにやってしまった方がどんなにか苦しくないでしょう!大体、何で来世を望まないわけ?!」
「我々は再び生れ願う民族だが、彼らは違う。彼らはこの世に生れることこそ苦だと考えているからだ。」

 生れてくることが苦しい…。あたしは訳が分からずにハーリドに耳を傾けた。

「生れるから死ぬ、生れるから病む、生れるから老いる。これらはおれたちにも分かるだろう?苦しむって。彼らはそれを根本から絶とうとしている。生れなければそんなことを味わなくて済むから。でも、一度生れ落ちたら人間、ジンといえども死にたくないものだ。」
「そりゃそうよ、あたし痛いのも苦しいのも嫌だけど、お母さんだって父さんだっているし、友達も町においてけぼりだもの。」
「そういう欲を絶つんだな。ああやって。」

 だから身内も友達も彼が死にかけているのに会いに来ないっていうの?なんだかむなしいじゃない。あたしが死ぬんだったらせめて大好きな人たちを最後に見て死にたい。死ぬ間際までずっとお話していたい。さみしいじゃない。思い出に浸って、好きな人たちを目の前にして、きっと死ぬまで、最後の息を吐き終えるまであたしはこの世に固執しながら死んでいくのよ。それでも、誰にも会えずに終わってしまうよりはどんなにいいことかしら。

「ナジャ、理解はまだ出来ないかもしれないけども、おれたち以外にも世の中にはたくさんの人がいる。考え方だって皆違う。否定するだけは簡単だけど、認めてあげることは大切だよ。」

 ハーリドは見た目と違って結構雄雄しくない。むしろ静かな湖面のような人だ。あたしはハーリドが言ったことを言葉では理解できても、彼の言うように、こころの底から理解したり、同調したりすることは出来ないわ。――今は。

「そうね。努力してみるわ。」

 する、と言ってすぐに出来るものではないけども、大事なことに違いないからあたしはこころに刻み込むことにした。

「さあ、首領もそろそろ用事が済んだだろう。らくだ車に戻ろう。」

 ハーリドは入り口を指差すとあたしにここから出るように指示した。あたしはそれに従った。彼はあたしの後ろから着いてきたけど、それは故意だったんだと思う。こういう小回りの効く案外優しい人なのね。
 外に出ると赤砂岩の街並みが目に飛び込んできた。露店が建ち並ぶ場所よりもだいぶ手前にラクダの手綱を持った少年が居た。のすりのような目を鋭くこちらに向けている。鷹のような…って言ってほしかったかしら。

「遅い!ハーリドが付いているのに、おそすぎる!」
「何よ、時間どおりじゃない。こんな近くにいるならシャムスが呼びにきてくれればいいでしょ。」
「何言ってんだ、まさかこんな墓場じみたところにいるとは思わないだろう。おおかた誰かさんが無知で興味の向くまま歩いていった所為だろうが。首領たちは先に行ったよ。らくだ2頭のこしてな。」
「悪かった、シャムス。おれもちゃんと時間をはかっておけば…。」

 シャムスは無言で手綱をハーリドに差し出した。

「はやく追うぞ。」
「分かった。」

 どうせシャムスは怒っているからと思って、ハーリドが乗っているらくだに足を掛けた。

「お前はこっちだ!」

 するとシャムスは自分が背もたれにしたこぶの前の空間を指差した。

「あたし、ハーリドと乗るでしょう?」
「だからこっちだ、人質!」

 行きずらいなぁと思いながら再びらくだを降りようとしたらハーリドが耳元で囁いた。

「彼は怒ってないから。大丈夫だ。」

 そう言う割にかんかんになっている気がするんですけど。おかえしにあたしもハーリドに囁いた。

「シャムスだけは世界が終わってラッパが吹かれても理解できないかも。」

 ハーリドはとびきりの笑顔で肯定した。

 案の定、らくだに乗ったら後からお小言が聞えたけど、思ったよりも多くはなかった。ちらりとあたしの後で手綱を引くシャムスを見たら、だんまりにもかかわらず、相変わらず眉間に皺が寄っていた。あたしはこれがシャムスなんだ、と「理解」することにした。














[PR]看護師の好条件転職情報なら:年間65000人の看護師が転職に利用!